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大学院工学系研究科
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「大津事件」

1891年(明治24年)5月11日に
日本を訪問していたロシア帝国
皇太子・ニコライに対し、警備の
津田三蔵巡査が切りかかった
殺人未遂事件です。

日本国中、行政から民間までが
津田巡査に対して死刑を要求。

しかし、当時の大審院院長(現在
の最高裁判所長官)児島惟謙は
あくまで法治国家として法にもとづき
冷静に判断し、死刑にしませんで
した。

これは、近代国家日本で司法の
独立を維持し、三権分立の意識を
広めたものとして有名で多くの
方がご存じかと思います。

政府だろうが、政治家だろうが、
はたまた民間人は感情、その場の
雰囲気に飲まれやすいもの、
だからこそ身分保障がされていて、
豊富な法律知識、判例に基づき、
冷静客観的に判断することが可能
とされる裁判官にまかせている
んです。

その観点からいえば、このニュースは
当たり前?

裁判員裁判:初の死刑破棄確定へ…「市民参加」何のため

死刑という究極の刑罰を前に、市民感覚と
公平性のバランスをどう保つのか。死刑と
無期懲役で1、2審の判断が分かれた2件
の強盗殺人事件の裁判は、最高裁決定に
より死刑回避で決着した。
死刑を選択した裁判員裁判の判決が否定
されたことに、遺族は「何のための市民
裁判か」と憤り、審理に当たった裁判員
経験者は複雑な胸の内を明かした。


裁判員制度の意味が無いという意見は
あると思いますが、私はむしろ日本の
司法では当然のこという感じがします。

なぜって、一審で決まってしまうなら
再審制度の意味が無いでしょう。

さらに、裁判官と比べれば、裁判員は
量刑判決まで公平にする訓練は受けて
いません、その時に選ばれた裁判員の
構成でかなりの判断の違いが予想
されます。

となると、一層再審の意味があろうか
と思います。

初めに言ったように、司法において気を
つけねばならないのが一時の感情に
流されることですから。

わたくしは、そもそも今の裁判員
制度についてはその適用の仕方に
問題があると思います。

裁判官のみでは明らかに不足して
いるところを補うのでなくては。

冤罪事件が発生するひとつの要因でも
ある検察官と裁判官の馴れ合いを防ぐ
ためとか、日常経験が少ないような
裁判官がおちいりがちな、法の文言だけ
で判断してしまうことを防ぐとか。

あっさり言えば、従来よりも、刑を軽く
するためのものとして裁判員がいれば
大きな問題は起きないかと思います。

遺族の感情をくみ取ることなど、素人に
は危なくて任せられません、極端に言えば
すべてが死刑判決になりそう。

公平な裁判をするという観点では多くの
裁判をこなしているプロの裁判官が
やるべきと思っています。

少なくとも、量刑を判断するのはとても
おかしいと思います。

これをきっかけにして、よりよい方向に
向かえばいいんですが。
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